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無幸処(悪趣)の門を閉じる法
3.
人身を得る難しさと輪廻が長い様子
釈尊が人身を得ることの難しさを五つの得がたき事(dullabha)として説いています。
仏陀に出会う、仏教に出会うことの難しさ
正法を聞けること、聞くことが出来る耳がある事の難しさ
人間に生まれることの難しさ
信じるに値する教えを信じることの難しさ、信じるべきでない非法を信じることの簡単さ
比丘出家することの難しさ
今日いらっしゃっている両親、親族全ての方は大変運がいい人です。ミャンマーは上座部仏教の最も盛んな国の一つでほとんどの人が仏教徒の両親から生まれた人であり、更にヴィパッサナー瞑想からも疎遠ではありません。智慧が鋭く五浄色が良くそろった人です。得がたい人生という機会を完全に得ているのです。
人生の価値を知るために釈尊が爪先経(Nakhasikhæ sutta) を説かれました。
ある時、世尊は土を少し爪の先に載せ、弟子である比丘たちに質問しました。「私の爪先の土と大地(地球上の)土はどちらが多いでしょうか?」
弟子である比丘たちは「世尊よ。比較することは出来ません。」と答えました。釈尊が説かれるには「あなたたちが見た私の爪の先にある土ぐらいだけ、人、天、梵天たちが全て亡くなった後、人、天、梵天に生まれ変わります。残りの地球上にある全ての土ほど悪趣に落ちます。」と教戒しました。ヴィパッサナーを実践しない人、全ては(悪業が結果を与えれば)悪趣に落ちるのは確実です。
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悪趣に落ちれば善趣に戻る難しさを盲亀経 (Kæ¼akaccha sutta)
中で説かれました。「言い表せないほど広い海底を、自由に歩き回っている盲目の亀がおり、海面で流されている頸木が有ります。その頸木に穴が一つあり、その大きさは盲目の亀の頭が通る位の大きさです。その亀は百年に一度海面に上がってきます。」釈尊が弟子たちに聞きました。「比丘たちよ。自由に動き回っている盲目の亀の頭と海面を漂っている頸木の穴にはまるのは簡単でしょうか?」と聞いたとき、弟子たちが「世尊よ。不可能です。」と答えました。
盲目の亀を後から追いかけて、頸木をはめるのさえ難しいことです。釈尊が説かれるには「盲目の亀が世界と同じぐらい寿命があり、頸木も腐らないならば大変運がよければはまりたい時にはまるでしょう。悪趣に落ちた人、天、梵天全てが、また人、天、梵天になるということが何倍も難しいと。」と教戒されました。
釈尊が大変長い輪廻について説かれました。輪廻は世界の何倍も長く始まりはありません。世界には四つの劫 (kappa) があります。
Æyu kappa 寿劫
antara kappa 中劫
asa³khayya kappa 阿僧祇
mahæ kappa 大劫
寿劫とは数えることの出来ない長い寿命から百年ごとに一年寿命が減って行き釈尊が悟られたころは百年の寿命でした。百年ごとに一年減っていくならば仏滅2550年なので現在は74歳ぐらいです。最低は10歳です。減って行く劫を減劫と言います。これは寿命が減っていくことで仏教が衰退していく事ではありません。現在、多くの人たちは仏教が衰退していると間違って言って
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います。現代は解脱時代で仏暦2500年を超えると無我の教え戻ってきて時解脱の時代に成ります。
預流者、一来者、不還者など指を指しても外れず阿羅漢がどんどん現れます。50年も過ぎています。上座部仏教徒の口から仏教が衰退していると言うべきではありません。寿命が10歳まで落ちたら100年おきに寿命が延びていき、数えることが出来ないぐらい増えた行くことを増劫と言います。減劫と増劫を寿劫と言います。寿劫の増減1回を中劫と言います。中劫64回を阿僧祇劫と言います。阿僧祇劫4回を大劫(1世界)と言います。阿僧祇劫4種類は
saμva¥¥a kappa (壊劫、世界が崩壊していく)
saμva¥¥a¥¥hæyø kappa (空劫、壊れたまま)
viva¥¥a kappa (成劫、世界が出来ていく)
viva¥¥a¥¥hæyø kappa (住劫、世界が続いている)
4阿僧祇劫を1世界(大劫)と呼びます。ですから世界で数えることが出来ないほど長い時間です。悪趣に落ちたら善趣にまた戻るためには大変長くかかります。ですから、得がたい人生と輪廻の長い様子を理解していただき機会があるときヴィパッサナー瞑想を実践してください。
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